日時:2006年3月19日
聖書箇所:ルカ18章15~34節
本日の成長のテーマは「神の国にふさわしい人」というものです。
イエス様のもとに幼子たちが連れてこられた時、イエス様は「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国はこのような者たちのものです。」と仰せられ、子どものように素直に神の国を受け入れる者が神の国にふさわしい者であるということを説いておられます。
続いて、ある金持ちの役人がイエス様に対し「何をしたら、永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」と尋ね、神の国に入るための条件について問うたことが記されています。
これらの事柄に関して共通して言える事は、当時の人たちにとって、神の国に入るための条件は、やはり、人間の業によるものであり、どれだけ神様の御心に適う善い業を行ったかどうかが問われているのだと考えていたのでしょう。
しかし、よくよく考えてみれば、神の国とは「神の」国なのですから、そこに入るための条件は、本来、神様の側にあるはずであり、神様が「神の国に入ってよろしい」と言えば入ることができ、「神の国にはふさわしくない」と仰せられれば、そこに入ることはできないと言う事もできるのではないでしょうか。それなのに、私たち人間は、勝手に「我こそは神の国にふさわしい者である」とか「あの人は神の国にふさわしくない」とか判断し、そこがまるで、自分たちが支配している国であるかのように思い込み、神様の主権の支配のもとにある国であるという事実をすっかり忘れてしまっているように思うのです。
「神の国」なのですから、そこに入るための条件は、全て神様の御心一つで決まること。
しかし、そこには、私たち人間のような身勝手で、気まぐれな心は無く、常に変わらない愛と憐れみに満ちた心があるだけで、神ご自身の一方的な憐れみの故に成し遂げられた、神の御子イエス・キリストの十字架の死による尊い贖いの代価によるものであるということが語られているのです。
ルカ18:27 イエスは言われた。「人にはできないことが、神にはできるのです。」
イエス様の十字架による贖いの死、これこそ、「人にはできないが、神がなさった御業」であり、この神の御業の故に神の国に入ることができるという素晴らしい神様の約束を覚えたいものです。
ルカ18:31 さてイエスは、十二弟子をそばに呼んで、彼らに話された。「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子について預言者たちが書いているすべてのことが実現されるのです。
18:32 人の子は異邦人に引き渡され、そして彼らにあざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられます。
18:33 彼らは人の子をむちで打ってから殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」