マルコ8:11 ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。
8:12 イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」
イエス様が真の神様であられるということは、一体、どうやって証明すれば良いのでしょう。
ファリサイ派の人たちは、イエス様に対して天からのしるしを要求していますが、おそらく、仮にしるしを見たとしても、決して信じようとしなかったでしょう。
イエス様は、ルカ福音書における金持ちとラザロのたとえの中で、神を信じようとしない者たちは、仮に、死者がよみがえるような大きな奇跡を見ても、決して信じないだろうと語られています。
ルカ16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。
16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』
16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』
16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
そして、ついに、イエス様が十字架で死なれ、よみがえられて、史上最大の奇跡を現されたにもかかわらず、多くの人々がその事実を前にしても、未だに信じようとしないのです。
つまり、信じるということは、しるしを見ることとは無関係であるということなのでしょう。
そう考えると、信じるということは、徹底して、神様により頼もうとする真面目な態度であるということなのかもしれません。
ヨハネ20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」