日時:2006年3月5日
聖書箇所:ヨハネ6章1~15節、22~40節
本日の成長のテキストは、有名な5千人の給食の箇所について取り上げられています。
「有名な・・・」と言うのも、この出来事が4つの福音書全てに記されているからであり、成長では、その点について簡単に触れられています。
ヨハネ福音書以外の3つの福音書は、共観福音書(共通の観点から書かれている)と呼ばれ、だいたい同じような内容が記されていると言えます。
一方、ヨハネ福音書は、かなり独自の視点から書かれている内容が多く、この5千人の給食の出来事についても、22節以下の箇所において独自の内容が記されていて、成長の解説にも、そのことが取り上げられています。
ヨハネ6:26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
6:28 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」
6:29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
このことは、イエス様が5千人の人たちに食事を満たしてあげられたことを理解するうえで、たいへん重要な箇所であると言えるでしょう。
イエス様は、ただ単に、ご自分の奇跡を現そうとして、5千人の人たちに食事を満たしたのではなく、本当の意味で命に必要なパンをお与えになる方がどなたであり、その命のパンとは、いかなるものであるのかということをお示しになるために、その伏線として5千人の給食の出来事があることを示しており、イエス様ご自身が神から遣わされたお方であり、この方が私たちに真の命を与えて下さる方であり、それは、いつまでも無くなることのない永遠の命であることなどをお示しになろうとなさっておられたのです。
そういう意味で、この5千人の給食の出来事は、イエス様が十字架で死なれた後、よみがえられたことを知る者にとっては、イエス様ご自身が真に命をお与えになられるお方そのものであるということを理解することができると思うのですが、まだイエス様の死と復活を知らない者にとっては、たいへん驚くべき不思議な奇跡をなさったに過ぎず、単に、生きていくために必要な食事を整えて下さったこととしか受け留める事はできないのです。
今の時代にも、多くの人々が心を動かされ、貧しい人たちや、飢えている人たちに支援の手を差し伸べようとしていらっしゃいます。しかし、そこに、イエス様の死と復活の事実を伝えることがないならば、支援を受ける人たちにとっては、単なる肉の糧を得るだけで終わってしまい、本当に必要な真の命を知らないまま、やがて滅んで行ってしまうだけなのです。
それよりも、もっと大切なこと、仮に、この世での命が滅びても、私たちには、永遠に滅びることのない命が与えられるのですよ、ということが伝えられたなら、どんなに幸いなことでしょう。
ヨハネ6:38 わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。
6:39 わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
6:40 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」
私たち人間の視点から物事を見る(観る)のではなく、神様の視点、神様の御心に適うことに目を向けて、何が大切であり、何をなしていくべきかを考えながら、イエス様の御言葉に従って生きて行きたいものですね。