ヨシュア9章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア9:22 ヨシュアはギブオンの住民を呼び集めて、彼らに言った。「お前たちはなぜ、我々を欺いて、はるかな遠い国から来たと言ったのか。お前たちは我々のうちに住んでいるではないか。
9:23 お前たちは今、呪われて、奴隷となり、お前たちの間からわが神の宮の柴刈り、水くみが断えることはないだろう。」
9:24 彼らはヨシュアに答えた。「あなたの神、主がその僕モーセに、『この地方はすべてあなたたちに与える。土地の住民をすべて滅ぼせ』とお命じになったことが僕どもにはっきり伝わって来たので、あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました。
9:25 御覧ください。わたしたちは今はあなたの手の中にあります。あなたが良いと見なし、正しいと見なされることをなさってください。」
9:26 ヨシュアは彼らにそのようにし、イスラエルの人々の手から彼らを助け、殺すことを許さなかった。
9:27 ヨシュアは、その日、彼らを共同体および主の祭壇のため、主の選ばれた所で柴刈りまた水くみとした。それは今日まで続いている。

エリコ及びアイへの侵攻の噂を聞いたギブオンの民は、あたかも遠くの町からやってきた者のように装い、イスラエルとの講和を求めました。
イスラエルの民は、彼らがどこからやってきたのか、不審に思っていましたが、とりあえず、彼らと盟約を交わすことにしました。
ところが、盟約を結んだ後、ごく近くの町に住む住民であったということがわかり、仕方なく、彼らを生かしておくことになってしまいます。しかし、そのためにギブオンの民は、のろわれる者となり、いつまでもイスラエルの奴隷として、たきぎを割ったり、水を汲んだりする仕事をする民として歩まなければならなくなってしまうのです。
ギブオンの民は、なんとしても生き延びようとして、このような偽りを演じ、結果、命だけは保証されましたが、それと引き換えに失うことの方が多かったと言えるでしょう。

マタイ6:5 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

神様からの祝福と引き換えに、この世の祝福を得ようと願う者は、必ず、神様の前に偽りをなし、本当に大切なものを得ることができなくなってしまいます。
「命だけは・・・」と願うあまり、本当に大切なものを失わないように、神様の前に、常に誠実に歩むものでありたいですね。