ヨハネ7:16 イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。
7:17 この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである。
7:18 自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。
先日、ある方とお話ししていた時「肉の思いと霊の思いとは異なる」ということはどういうことでしょうかと尋ねられました。
私は、なるべく簡潔に理解してもらえるよう「肉の思いは自分のため、霊の思いは他者のためになることを考えるのではないでしょうか」と答えました。
ガラテヤ5:16 わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
5:17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
5:18 しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。
5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、
5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
5:22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
5:24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
5:25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
神の御心に適う事というのは、常に、他者への配慮と結びついているものです。なぜなら、イエス様ご自身がそういうお方だからです。ご自分の命を他者のために投げ出し、命をお与えになられるお方だからです。
ヨハネ6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
自分のためにではなく、他者のために。受けるよりは与える方が幸いである。
この御言葉の中に、主の御心があることを覚えたいものです。