ヨシュア8章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア8:1 主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。
8:2 エリコとその王にしたように、アイとその王にしなさい。ただし、分捕り物と家畜は自分たちのために奪い取ってもよい。あなたは、町を裏手からうかがうように伏兵を置け。」

アカンの犯した罪と、それに対する裁きを終えたイスラエルは、もう一度、アイへの侵攻を計画します。この時、主なる神様は、今回は、分捕り物と家畜は自分たちのために奪い取っても良いということを許可しています。
もちろん、エリコ侵攻の際も、全てを聖絶するように命じておられたのではなく、金や銀、青銅の器、鉄の器など、いわゆる、貴金属に該当する物は、主のものとして御捧げするように命じられています。

ヨシュア6:18 あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。
6:19 金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ。」

このことは、単に価値のある物は主に捧げ、それ以外のものは民が所有しても良いということを示しているのでしょうか。
それよりも、主を礼拝するために用いる聖なる物と、民の日常の生活のために用いる、いわゆる生活物資との区別をつけ、民の日常的な生活に用いる物ならば、それは、必要な物を主がお与えになられるということを意味していると言えるのではないでしょうか。

どちらが優れた物で、どちらが劣った物であるということではないように思います。
あるいは、家畜などの生活に必要な物さえも全て神に捧げよと命じたなら、ますます民が頑なになり、意気消沈してしまうであろうことを神様はご存知でいたのかもしれません。
ついつい私たちは、金、銀、財宝などの高価なものを所有しようとしてしまいます。しかし、非常事態の時には、それらが本当に役に立つのかどうかと言えば、実際には、生活物資のほうが必要性が高かったりします。

先日、フィリピンで大規模な地すべりが発生し、多くの方々がなくなられたと聞きました。日本から、至急、救援物資が送られたそうですが、非常時には、こういった物資のほうが役に立つものです。
そう考えると、主なる神様は、民の本当の必要をご存知であり、必要の全てを満たして下さるお方であることを思わされます。

マタイ6:19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
6:20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

ひたすらに主に仕え、天に宝を積む者でありたいですね。