ヨシュア7章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア7:10 主はヨシュアに言われた。「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。
7:11 イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。
7:12 だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった。もし、あなたたちの間から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないなら、わたしは、もはやあなたたちと共にいない。
7:13 立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去るまでは敵に立ち向かうことはできない』と言われるからである。
7:14 明日の朝、あなたたちは部族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた部族は、氏族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた氏族は、家族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた家族の男子は、一人ずつ進み出なさい。
7:15 滅ぼし尽くすべきものを持つ者がこうして、指摘されたなら、その人は財産もろとも火で焼き尽くされねばならない。彼は主の契約を破り、イスラエルにおいては愚かなことをしたからである。」

主なる神様は、イスラエルの民のうち、たった一人の人の犯した罪の故に、イスラエルと共に進む事を拒み、アイの町への進出をお許しになりませんでした。
その罪とは、神様が聖絶しなければならないと命じていた約束を破り、それらを自分の物として盗み取っていた者がいということです。
たった一人の犯した罪の故に、民全体が被害を被ることになるということは、言わば、連帯責任ということになるのでしょうか。
しかし、それよりも、主な神様は、たった一人の犯す過ちが、やがて民全体へ広がっていくものであるということを知っておられたために、これほどまでに厳しい裁きを行われているのでしょう。

聖書に記されている事柄は、まさに、このような人間の罪の歴史であったと言えます。アダムが罪を犯し、その同じ過ちを全人類が犯すようになり、誰かが「我々をエジプトから救い出した神を作れ!」と命じると、誰もがそれに同調し、金の子牛を拝むようになり、王が近隣諸国の偶像を礼拝するための祭壇を築き、これを拝むようになると、たちまち国民全体がその偶像を礼拝するようになり、一人が犯す過ちは、その人個人だけに留まらないものであるということを教えています。

たった一つの罪のために、そこまでしなくても・・・と思うかもしれませんが、罪の持つ力というのは、本当に恐ろしいものなのです。
だれか一人が不正を犯し、富を蓄えるようになると、真面目に生きている者までもが、不公平だとつぶやき始め、やがて、同じ過ちを犯していくのです。
私たちは、そのことを覚え、主ご自身が「聖絶せよ」と命じられたことの意味を覚えなければならないのです。
しかし、私たちには、全ての罪を取り除いて行くことのできる力がありません。どうすれば良いのでしょうか。
そのことを解決するために、主イエス様自ら、私たちの犯した全ての罪のために、これを完全に聖絶するために、ご自分の命を犠牲にして処罰してくださったのです。

ローマ5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
5:13 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
5:14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
5:15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
5:16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。
5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

今や、私たちは、この主イエス様の贖いによる恵みの故に、罪の支配下には置かれていません。恵みのもとにあり、永遠の命の約束を頂くことが出来るのです。
なんと、感謝なことでしょうか。
せめて、これからは、恵みのもとにある者にふさわしく歩ませて頂きたいものです。