恐れないで、ただ信じていなさい。 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2006年2月19日
聖書箇所:マルコ5章21~43節

今週の成長のテキストでは、イエス様が会堂管理者ヤイロの娘を生き返らせた時のことが取り上げられています。
ちょうど、先週のテキストで、イエス様は私たち人間の手に負えないような領域をも支配しておられ、私たちが自由にコントロールすることのできない自然をも支配しておられるお方であるということに触れました。今週はさらに進んで、もはや私たちにはどうすることもできない死の問題についても、主イエス様が権威を持ってもられることを示していると言えます。
ヤイロの娘がなくなったとの知らせを聞いた時、イエス様は、ヤイロに対し「恐れないで、ただ信じていなさい。」とだけ言われています。これは、ヤイロが最初にイエス様のところに助けを求めてきた時に持っていた信仰をそのまま維持することを勧めるものであり、状況が変わったからと言って、すぐにあきらめるようなことをしないように求めているものと言えるでしょう。
このことは、信仰者として生きて行こうとする時、たいへん重要な要素であると思います。
なぜなら、時が経つに連れて、次第に状況が変わってくると、私たちの思いや気持ちというのは、ついつい、移ろいやすくなっていくものであるからです。
そういう意味では、信仰を守り通すということは、たいへんなことであると言えるのでしょうが、本来、信じるということは、そういうものであるはずです。状況が変わったから、もう信用しないというのは、それは、信仰とは言えないからなのです。

もう何年も前の話になりますが、私が聖書学院に入って、そこで初めて学んだことは「救いの根拠は私たちの内にあるのではなく、外側から来るものであり、恵みによるものである」というものでした。
つまり、私たちが信じる、その「信仰心」の故に救われるというより、私たちを救うために、主イエス・キリストがご自分の命を投げ出して下さったという事実の中に救いの根拠があり、私たちは、ただそれに寄りすがるよりほか仕方がないのだという事実、これこそが真の「信仰」なのだということを教わり、ただただ神の憐れみによってしか救われないのだということを思い知らされたものです。
しかし、だからこそ、私たちの救いが確実なものであると言えるのだということを思うのです。
私たちの努力、私たちの認識、私たちの常識、そのようなものによって救いが達成されたり、されなかったりするのであったなら、どんなに不安な救いの約束であったことでしょう。しかし、主なる神様は、ご自分の御子イエス様の贖いの御業の故に、私たちをお救い下さると定めて下さったのですから、これほど確実な約束はないと言えるのです。
イエス様が、ヤイロに向かって「恐れないで、ただ信じていなさい。」と語りかけたことは、そんなイエス様の確かな救いの確証が約束されているが故の御言葉であることを思います。