ヨシュア5章 | 聖書日課 デボーションノート

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聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア5:2 そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。
5:3 ヨシュアは、自ら火打ち石の刃物を作り、ギブアト・アラロトでイスラエルの人々に割礼を施した。
5:4 ヨシュアが割礼を施した理由はこうである。すなわちエジプトを出て来たすべての民、戦士である成人男子は皆、エジプトを出た後、途中の荒れ野で死んだ。
5:5 出て来た民は皆、割礼を受けていたが、エジプトを出た後、途中の荒れ野で生まれた者は一人も割礼を受けていなかったからである。
5:6 イスラエルの人々は荒れ野を四十年さまよい歩き、その間にエジプトを出て来た民、戦士たちはすべて死に絶えた。彼らが主の御声に聞き従わなかったため、我々に与えると先祖たちにお誓いになった土地、すなわち乳と蜜の流れる土地を、彼らには見せない、と主は誓われたのである。
5:7 ヨシュアが割礼を施したのは、神がその代わりにお立てになった彼らの息子たちであって、途中で割礼を受ける折がなく、無割礼だったからである。
5:8 民は全員割礼を受けた後、その傷がいえるまで、宿営内の自分の場所にとどまった。
5:9 主はヨシュアに言われた。「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」そのために、その場所の名はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。
5:10 イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭を祝った。
5:11 過越祭の翌日、その日のうちに彼らは土地の産物を、酵母を入れないパンや炒り麦にして食べた。
5:12 彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、イスラエルの人々に、もはやマナはなくなった。彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。

昨日、私たちの教会で教会学校の教師を長年続けてきて下さった方が、今年の3月いっぱいで教師の奉仕を辞めさせて頂きたいと申し出られました。
幼稚園の教師もしておられた方で、卒園児たちもほとんど姿を見る事がなくなり、世代交代の時期と考えられたのかもしれません。
しかし、あまりにも突然のことだったので、他の先生方は、かなり動揺していました。
なんとかお引止めしようと説得しましたが、おそらく、この方の決心は変わらないだろうと思います。
その後、今後、教会学校の働きをどうするか考えました。
意外にも、いろんな新しいアイデアが出てきて、動揺の中にも、一筋の希望が見えてきたようで、主のお導きを感じることができたように思います。


ヨシュア率いるイスラエルの民が、約束の地カナンへと進んでいった時も、世代交代の時が来ていました。彼らの中には、もはや、エジプトの試練の時代を知る者はなく、ほとんどの者が、荒野の旅路の中で生まれた者たち。彼らは、生まれたときから、ずっと、神様が備えてくださったマナで生活してきた者たちでした。
しかし、ヨルダン川を渡り、初めてカナンの土地で得られた地の産物を口にした日から、マナの降ることは止み、自分たちの手で収穫した物を食べることになっていきました。

私たちの教会も、長年、海外の宣教団体の支援を受けながら、教会の働きや、幼稚園の働きなどを通して、イエス様の御言葉を語り続けてきました。
しかし、この教会にも、世代交代の波が押し寄せ、昔のことを知る方がだんだん少なくなり、新たに加えられたメンバーが中心となって宣教の働きが進められようとしているのかもしれません。
他からの支援もなくなり、そのことすら知らない世代ばかりになったとき、果たして、この教会はどう歩むべきか。
ヨシュアたちは、モーセの時代に行われていたように、割礼を施し、過ぎ越しの祭りを祝いました。言わば、主の恵みを忘れないで、主の命じられたことを忠実に守っていくということでしょうか。
時代が変わり、人が変わっても、教会が教会として成すべきことな、いつの時代にも変わることがありません。

ヘブル13:7 あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。
13:8 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

私たちが信頼し、語り続けていく御言葉の主は、イエス・キリストです。
イエス・キリストが私たちの救い主であられるということだけは、たとえ時代が移り変わろうとも、決して変わる事はないのです。