ヨシュア4章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア4:1 民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに言われた。
4:2 「民の中から部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、
4:3 彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい。」
4:4 ヨシュアはイスラエルの各部族から一人ずつ、かねて決めておいた十二人を呼び寄せて、
4:5 言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたたちの神、主の箱の前に行き、イスラエルの人々の部族の数に合わせて、石を一つずつ肩に担いで来い。
4:6 それはあなたたちの間でしるしとなるであろう。後日、あなたたちの子供が、これらの石は何を意味するのですかと尋ねるときには、
4:7 こう答えなさい。『ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の流れはせき止められた。これらの石は、永久にイスラエルの人々の記念となる』と。」

ヨシュアはイスラエルの民に対して、主の導きによってヨルダン川を渡ったことを子々孫々に伝えるために、宿営地ギルガルに石を積み上げて記念とするように命じます。
おそらく、エジプト脱出後、すぐに金の子牛を作って神様を退けてしまったような苦い経験を再び味わわせないようにするためであった言えるでしょう。
あるいは、必ず、主を忘れ、主が導いて下さったことを信じようとしない者が現われるであろうということを想定していたのかもしれません。
しかし、一方で、このことがいつまでも子々孫々に語り継がれていくことを願って行われたということは、それくらい、イスラエルの民が代々繁栄していくことを期待していたということでもあり、神様の祝福を信じきっていたヨシュアの信仰を垣間見ることができるのではないでしょうか。

先日、ある教会の納骨堂の規約の話を伺いました。管理費を何年納めるとか、何十年経ったら、一箇所にまとめて、納骨スペースを確保するとか、割合事細かに定められていました。おそらく、何十年も経てば、今いる教会のメンバーたちは、皆召されているかもしれないのに、そこまで細かく決めなくても・・・と思ったのですが、そこに、この教会がますます発展し、納骨堂に入りきらなくなるほど、クリスチャンが増えていくということを願って考えられたものであろう事を思った時、なんと素晴らしい規約だろうと思わされました。

ルカ1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」

来るべき日に備え、主の恵みの御言葉を語り継いでいきたいものですね。