ヨシュア1章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア1:7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。
1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
1:9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

モーセ亡き後、イスラエルの指導者として立てられたヨシュアに対し、主なる神様は「強くあれ、雄雄しくあれ」と命じられ、どんな試練、困難が待ち受けていようとも、くじけずに、ただ、主の御言葉の約束に信頼し、従って生きていくように仰せられています。

先日「アダムの沈黙」という本を読みましたが、そこには、「エバがヘビに誘惑されたとき、何故、アダムは何も言おうとせず、何も助けようとしなかったのか、きっと、そばにいたはずなのに・・・。」というような事が書かれていました。
確かにアダムはエバのそばにいたはずです。そして、エバと同様、神様から命じられていた言葉を聞いて知っていたはずなのです。なのに、なぜ、アダムはエバを助けようとしなかったのか。
この本の解説によると、男性とは、本来、そのような危機的な状況において、試練をも覚悟で立ち向かっていくべきなのに、自分の能力の及ばない領域だとわかると、たちまち萎縮してしまうか、沈黙を通すか、あるいは、逃げ出してしまうものだということが語られていました。そして、それを隠そうとするために、虚勢を張って、強がってみせる・・・。
本当の男らしさとは、そういう自分で何とかできる領域だけに留まって、あたかも何でもできるかのように振舞うことではなく、むしろ、自分でもどうすることもできない領域にも踏み込んでいき、主なる神様の助けを仰ぎ求めて生きて行こうとする勇気を持つことであると、そんな内容の事柄が語られていました。

ヨシュア率いるイスラエルの民を待ち構えていた事柄も、きっと、多くの試練であり、困難であり、恐れや不安であったことでしょう。しかし、ヨシュアは、そんな恐れを抱きつつ、強く、雄雄しく生きようとしました。
今の時代も、クリスチャンとして生き抜いていこうとする時、様々な場面で、勇気が求められることもあります。しかし、その場面、場面において、勇気を失うことなく、真の神を信じる者として、強く、雄雄しく歩み続けていきたいものです。