日時:2006年2月12日
聖書箇所:マルコ4章35~41節
今週から成長が「イエス・キリストの生涯」という新しい単元に入ります。
第1週はのテーマ「あらしを静める」というもので、イエス様がガリラヤ湖において、船が沈んでしまいそうな突風を静められた時のことが取り上げられています。
成長の解説を見ると、一緒にいたペテロやアンデレ、ヤコブやヨハネたちは、もともとガリラヤの漁師たちで、イエス様よりも経験豊富な人たちであったはず。しかし、そんな彼らの手に負えない自然の脅威にさらされることで砕かれる経験をさせられたのではないかということが記されています。
しかし、主イエス様は、そのような嵐さえも事も無げに静められ、ご自分が自然をも支配する力をお持ちであられるということをお示しになられるのです。
このことは、単に、自然をお創りになられたお方だから、自然をも支配する力を持っているというだけでなく、成長にも記されている通り、主イエス様は「人間の手には負えない」事さえも成し遂げる力をお持ちの方であられると言うことを覚えなければなりません。
なぜなら、私たちは、聖書を読んで、この自然をお創りになられたのは主なる神様で、その神様が自然の全てを支配しておられるのは、ごく当然のことであると信じているけれども、ついつい、なぜ、主はこのような自然災害を起こしたりなさるのだろうとか、明日は運動会だから晴れてくれるように祈っているのに、なぜ晴れてくれないのだろうなどと、つぶやいてしまうことがあるからなのです。
そこにあるのは、まさに、人間的な思い、自己中心的な発想による考えに基づく、身勝手な祈りであり、自分の都合のために神様を利用しようとしていることを反省しなければならないと思うのです。
ガリラヤ湖の上で「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」と訴えた弟子たちの言葉も、まさに、自己中心的な思いから来るつぶやきと言えるのではないでしょうか。
必死で自分を守ろうとする時、そこに働いているのは、己の欲望であり、神様の導きを信頼して歩むことと異なる生き方になりがちです。
私たちは、今一度、この自然をお創りになられた主なる神様が、ご自分のお考えに基づいて全ての事柄を支配し、私たちを救いの恵みに導こうとしておられることを信じ、人間の手で自然を支配しようとするのではなく、自然の持つ力を畏れ、これに身を委ね、共に生きる歩みを続けていくことが大切なのではないかと思います。
マルコ4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。