出エジプト24:4 モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。
24:5 彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物をささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。
24:6 モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、
24:7 契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、
24:8 モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」
24:9 モーセはアロン、ナダブ、アビフおよびイスラエルの七十人の長老と一緒に登って行った。
24:10 彼らがイスラエルの神を見ると、その御足の下にはサファイアの敷石のような物があり、それはまさに大空のように澄んでいた。
24:11 神はイスラエルの民の代表者たちに向かって手を伸ばされなかったので、彼らは神を見て、食べ、また飲んだ。
主なる神様から命じられた御言葉をイスラエルの民に伝えたモーセは、シナイ山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの若者たちと共に全焼のいけにえを捧げ、半分を祭壇に、そして、御言葉を守ると約束した民に残りの半分の血をふりかけ、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」と言って、神との間に契約が結ばれたことを言い表しています。
この契約は、仮に、神様との約束を破った場合、命をもって償わなければならないということを示しており、出エジプト21~23章に記されているような事柄を、命をかけて守り通すことを約束しているものと言えるのです。
そして、この契約を守り通すことを約束した者だけが、はれて、主なる神様の御顔を仰ぐことが許されるのであり、10節で、イスラエルの民が主なる神様の御足を見たということが語られています。
しかし、興味深いことは、イスラエルの民は、これから長い人生をかけて守り通していかなければならない契約であるにも関わらず、既にこの契約を守り通したかたのように、神の御前に立ち、神の御前における飲食をも共にしている光景が描かれていることです。
このことは、やがて来るべき栄光の御国おいて、私たち主にある家族が神様の御前において豊かな交わりに与ることができるという約束を示していると言えるのでしょうが、既に契約を果たし終えたかのように取り扱って下さるのは、ただただ、主の一方的な憐れみの故であるとしか言うほかはないのです。
つまり、祭壇に捧げられたいけにえ、そして、そのいけにえの流された血による契約とは、実に、神の御子イエス・キリストの十字架の贖いによる救いの約束と結びついているからこそ、何も守り通すことのできないような者であるにも関わらず、この契約の中に置いていただいていることを思わずにはいられないのです。
主イエス様ご自身が、私たちのために命がけで契約を結んで下さり、今や、契約の民として、神の御前において、豊かな食卓に与る事を許されている喜び。
主イエス様の尊い血による贖いを、ただただ感謝するばかりです。