出エジプト18:14 モーセのしゅうとは、彼が民のために行っているすべてのことを見て、「あなたが民のためにしているこのやり方はどうしたことか。なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。
18:15 モーセはしゅうとに、「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。
18:16 彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。
18:17 モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。
18:18 あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。
18:19 わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、
18:20 彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。
18:21 あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。
18:22 平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。
18:23 もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」
18:24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、
18:25 全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、すなわち、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長とした。
18:26 こうして、平素は彼らが民を裁いた。難しい事件はモーセのもとに持って来たが、小さい事件はすべて、彼ら自身が裁いた。
出エジプト記18章には、かつてモーセがエジプトからミデヤンの地に逃れていた時にお世話になったしゅうとのエトロがやってきて、モーセに対して、民を治めるやり方について助言を与えたことが記されています。
それまでのモーセは、民の間に起こる様々な問題を、ずっと一人で全て裁いていたようですが、そのようなやり方をしていては、モーセが疲れ果ててしまうことは明らかであり、エトロの指示通り、民の中から優秀な指導者たちを選び、細かい案件について、彼らに裁きを委ねることで、モーセの負担を軽くしようとしたのです。
おそらくモーセにとっては、なんとありがたい助言であり、これこそ、まさに神の御声と思ったことでしょう。
実際、新改訳聖書では、エトロがモーセに助言をした際「神があなたに命じられるのです」という表現が用いられていて、エトロがモーセに対する預言者的な役割を果たしていたと言えるのです。
<新改訳聖書>
出エジプト18:23 もしあなたがこのことを行なえば、・・神があなたに命じられるのですが、・・あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」
そもそも、エトロと言えば、モーセがエジプトから逃れた際、モーセを家族同様に受け入れ、かくまってあげた人物。
そのエトロがモーセの負担を軽くし、イスラエルの民に平安を与えるための助言をすることになるとは、モーセにとっては、まるで、神から遣わされた天使のような存在に思えたかもしれません。
しかし、エトロもモーセ同様、神様に用いられた一つの器に過ぎず、憐れみ深い神様の御心を現すために用いられた人物であると言うことができるでしょう。
詩篇144:1 主をたたえよ、わたしの岩を わたしの手に闘うすべを 指に戦するすべを教えてくださる方を
144:2 わたしの支え、わたしの砦、砦の塔 わたしの逃れ場、わたしの盾、避けどころ 諸国の民をわたしに服従させてくださる方を。
144:3 主よ、人間とは何ものなのでしょう あなたがこれに親しまれるとは。人の子とは何ものなのでしょう あなたが思いやってくださるとは。
エトロを通して現された神の憐れみの心。
それは、やがて、イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して、神の深い御愛と御慰めが現されたことにも通じていると言えるでしょう。
その主なる神様が、今日も私を憐れんでいて下さり、聖書の御言葉を通して愛を現して下さることを感謝いたします。