祈りの趣旨 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2006年1月22日
聖書箇所:マタイ6章1~15節

本日の成長のテーマは、「主イエス様が教えられた祈り」です。
具体的には「主の祈り」と呼ばれる祈りの言葉が挙げられますが、それに先立って、イエス様が「祈る時には・・・」という風に、祈りの姿勢について語られていることに注目してみます。

マタイ6:1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。

この言葉は、祈りの目的を諭されるものであると言えます。祈りの目的が「人に見せるため」であるのなら、その祈りは、無益なものであるばかりか、天の神様からの祝福を受けることができないものとなってしまうと言われています。
しかし、ここで注目しなければならないことは、だからと言って、祈ることをおろそかにしないで、むしろ、本来の目的に従って、積極的に祈るべきであるという事でしょう。

マタイ6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
6:5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

ここに語られている事柄も、全く純粋な動機で祈ることができないのなら、かえって祈るべきではない、ということではなく、むしろ、正しい姿勢で、積極的に祈るべきであり、善行を行うことが求められていると言えます。
そういう意味で、祈りとは、心のあり方が問われている事柄であると言えるでしょう。
そして、その正しい祈りの姿勢を教えてくれるものとして「主の祈り」があるのでしょう。
主の祈りは、一見したところ、願い事のような祈りに見えますが、実は、主の御心を求める祈りであり、主への信仰を表明する祈りでもあります。
「私の思い」「私の願い」ではなく「主の御心」、これが祈りにおける最も大切な事柄なのでしょう。