出エジプト10:24 ファラオがモーセを呼び寄せて、「行って、主に仕えるがよい。ただし、羊と牛は残しておけ。妻子は連れて行ってもよい」と言うと、
10:25 モーセは答えた。「いいえ。あなた御自身からも、いけにえと焼き尽くす献げ物をいただいて、我々の神、主にささげたいと思っています。
10:26 我々の家畜も連れて行き、ひづめ一つ残さないでしょう。我々の神、主に仕えるためにその中から選ばねばなりません。そこに着くまでは、我々自身どれをもって主に仕えるべきか、分からないのですから。」
もともと遊牧の民であったイスラエルにとって、羊や牛といった家畜は、言わば仕事の道具。これを置いて行けということは、生活の糧を奪われることに価するものであったはずです。
しかし、モーセは、あくまで「我々の神、主に御仕えするために」という目的のためであり、主を礼拝するために必要なものであるということを主張しています。
言うなれば、仕事も神を礼拝するために必要なことであり、神を礼拝することこそ、本来やるべき最も大切な仕事である、と言うことなのかもしれません。
牧師や宣教師のように、仕事と礼拝が一体となっている仕事に就いている者ならまだしも、一般の職業に就いている方にとっては、仕事と礼拝が一緒というのは、なかなか気持ちの切り替えが難しいかもしれません。
しかし、そもそも、私たちが生きて行くこと自体が、神の豊かな恵みの中で守られていることを思う時、いつでも神を礼拝し、感謝して生きて行く事は大切なことであろうと思うのです。
そう思うと、日常の生活の中にも、小さな礼拝を持つ事は可能ですし、仕事を通して神の栄光を現していくことは、とても大切なことであると言えるでしょう。
豊かな日常の暮らし、富や財産、それ自体は悪いものではありませんが、それらをも用いて、神を礼拝し、感謝して生きて行くことができますようにお祈りいたします。