出エジプト10章1~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト10:7 ファラオの家臣が王に進言した。「いつまで、この男はわたしたちを陥れる罠となるのでしょうか。即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」
10:8 モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」
10:9 「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、
10:10 ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。
10:11 いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ。」ファラオは自分の前から彼らを追い出した。

ファラオの家臣たちは、このままでは、国が滅んでしまうかもしれないと恐れ、いつまでも強情な態度を続けようとする王に対し、イスラエルを行かせるように進言します。
エジプトとしては、国の繁栄のために必要な労働力としてイスラエルを留めておきたいと願っていたのかもしれませんが、家臣たちですら、国のことを心配して、イスラエルを行かせるべきだと考えているのに、それでも尚、幼い子供達を留め、従順な奴隷を確保しようとする態度は、まさに、意固地というか、強欲のきわみと言うより他ありません。おそらく、ファラオにとっては、国のことよりも、自分の王としての地位を守ることにしか考えは向いていなかったのかもしれません。
しかし、国が滅びる危機的状況の中では、その国の王であり続けることは困難なことです。それすら考えが及ばないほどに、もはや、王としての地位に安住してしまっていたということなのでしょう。

1コリント4:7 あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。
4:8 あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。

裕福になり、何一つ困ることの無い状況にある時、人は、その地位に安住し、まるで「王様」のように傲慢に振舞い始めます。
しかし、本当の意味での「王」というのは、その国を守るために立てられた器であり、パウロはそういう意味で「実際、王様になっていてくれたら」と言っているのでしょう。
国と王様ほど、大きな規模、影響力ではないにしろ、私たちが置かれている立場や責任、そのようなものを感謝して誠実にあたること、これが「王様」としての成すべき務めなのではないでしょうか。

1ペテロ5:2 あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。
5:3 ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。
5:4 そうすれば、大牧者がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。
5:5 同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。