出エジプト9章13~35節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト9:27 ファラオは人を遣わし、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「今度ばかりはわたしが間違っていた。正しいのは主であり、悪いのはわたしとわたしの民である。
9:28 主に祈願してくれ。恐ろしい雷と雹はもうたくさんだ。あなたたちを去らせよう。これ以上ここにとどまることはない。」
9:29 モーセは言った。「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。
9:30 しかし、あなたもあなたの家臣も、まだ主なる神を畏れるに至っていないことを、わたしは知っています。」

一見したところ、悔い改めたような態度をとるファラオでしたが、まだまだ真実の悔い改めをしていないことをモーセは見抜いていました。
しかし、これらのことが全て神の御業であることを知らしめるために、あえて、ファラオの願い通り、雹を降らせることを止め、本当の意味で主を畏れることができるように、しるしを繰り返していきます。
つまり、悔い改めない者には、何度でも災いがもたらされるということであり、おそらく、心頑なな者たちは、何度も災いを経験し、悔い改めて(いるようなふりをして)も、同じ過ちを繰り返していくのでしょう。

人は、結局の所、何を望むか、何を願っているかによって、その生き方が違ってきます。
神様からの祝福を願う者は、神様が下さる祝福に目を留めていきます。
そして、そのために、神の御前で悔い改めへと導かれていきます。
しかし、この世の成功や快楽などを求めているものは、自ずと、それらを優先した生き方になっていきます。
そして、試練が訪れ、一見したところで悔い改めたようなふりをしても、その根本的な求めが己の欲望に支配されたままである限り、生き方は変わりません。
そして、同じような過ちを繰り返し、「試練だ試練だ」と騒ぐだけで、一向に真実な神の御前に悔い改めようとはしないのです。


今、あなたは、何を求めていらっしゃいますか?
この世の祝福を求め続けるのなら、その故に味わわなければならない災いの覚悟は出来ていることでしょう。
しかし、もしそうでないのなら、神の助けを求め、神様が下さる祝福を求められますよう、お祈りいたします。