地の塩、世の光として | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2006年1月8日
聖書箇所:マタイ5章13~16節

本日の成長のテキストは「主イエスの教え」の第2回目。
「あなた方は地の塩、世の光です。」と御語りになられたイエス様の御言葉について学びます。
成長の解説には、主に、塩が味をつけるために用いられることと、腐敗防止のために用いられるということが記されています。
確かに、昨今の社会情勢を見る限り、この世の退廃ぶりは止まるところを知らずといった感じですし、これに歯止めをかけていくのは、我々クリスチャンの使命であると言っても過言ではないかもしれません。しかし、これを子供たちにどう理解してもらうかということになると、そう簡単なことではないように思います。
まず、何が腐敗なのか、何が正常なのか、そこから考えていかなければなりません。
昔のヒーロー者のテレビ番組のように、明らかに悪者とわかる者が横暴に振舞っているならまだしも、今の時代は、悪者も巧妙に誘惑をしかけてきます。
ならば、腐敗防止ということよりも、もっと単純に、塩は塩味をつけるという目的に絞って、自分は何のために生きているのか、イエス様を信じて生きるということは、この世の社会の中にあって、どのような意味があるのかということに注目していった方が、よりシンプルであると思いますし、イエス様がお語りになられた御言葉通りの解釈に近いように思うのです。
私は、クリスチャンとしてこの世に生きることの意味は、非常に大きなものであると思います。
なぜなら、なんと多くの人が希望を見失い、喜びもなく、浮世の楽しみにのみ心を奪われ、あくせくと過ごしていることかと思う時、やはり、イエス様にある罪の赦し、それに伴って約束された永遠の命の素晴らしさ、平安、喜び、感謝といった祝福を頂いていることは、それはそれは大きな事であると思うのです。
むしろ、自分こそ正義であり、社会の腐敗を正すために存在しているなどと思っていると、単なる思いあがりにもなりかねないですし、謙遜に生きることの大切さも覚えていかなければならないでしょう。

続いて、「世の光」についてですが、これは文字通り、世に対してクリスチャンとして証ししていくことに他なりません。イエス様を信じていること、信じることによって与えられる恵みと祝福、やはり、このことを証ししていくことに尽きるということなのでしょう。
時には、はっきりと社会とは袂を分かち、世の流れとは違う道を歩まなければならないこともあるでしょう。
そう考えると、世の光であるということは、地の塩であることと同様、社会を正していくために重要な事柄なのかもしれません。同じような事柄でありつつも、状況に応じて、バランスを取りながら行動していくということでしょうか。
ある時は、謙遜に歩み、社会に同調しながら貢献していくことも必要でしょうし、ある時は、社会の悪とはきっぱりと袂を分かち、クリスチャンとして、しっかりと証を立てていくことも必要です。そんなバランスの取れた信仰者として成長していくことができるように、この御言葉を取り次いでいきたいものですね。