出エジプト3:4 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、
3:5 神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
3:6 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。
3:9 見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。
3:10 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
3:11 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
3:12 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
3:13 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
出エジプト記3章には、モーセの召命に関する記述が記されています。
彼は、もともと、エジプトに滞在していましたが、同朋たちからも非難され、ミデヤンの地へ逃亡していた身。
そのようなモーセが、その同朋イスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出すなどということは、モーセにとって、ありえないこと、考えられないことであったかもしれません。
しかし、主なる神様は、そのようなモーセだからこそお選びになり、主の救いの御業のためにお召しになられたのです。
最近、私は果たして自分がこの道を歩んでいて良いのだろうかと思う時があります。今まではそんなことは全く考えもしなかったのですが、自分に対して自信がなくなってきたというか、あまりにも簡単に批判を受けることが多くなってきたからです。
言われやすいタイプなのでしょうか、こいつなら言っても怒りはしないだろうと思われているのかもしれません。あるいは、仕事柄、試されているのかもしれません。
でも、私も一人の人間ですから、謂れのない批判まで受けるのは、やはり辛いものです。
そして、それを続けていると、だんだん自信も失っていくわけです。
前向きに物事を捉え、積極的に行動すれば、思いあがっているとか、傲慢だと言われ、かといって静かに過ごしていれば、怠け者と言われ、結局は、何をしても批判されることには変わりないのかもしれません。
ならば、自信があるなしに関わらず、神様に示されたことを、ただ忠実に果たしていく、それが全てなのでしょう。
人の評価を気にしていても、どうせ悪い評価しかしてくれないのなら、開き直って、神様からの評価だけを頼って生きる、そんな生き方も、悪くはありません。
神様はモーセに対して「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」と仰せられました。
落ち込んだ時、自信を失った時、この御言葉を思い出し、神様が共にいて下さるからこそ、神様の御業のために働かせて頂きたいものですね。