救い主は飼い葉おけに | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

日時:2005年12月18日
聖書箇所:ルカ2章1~7節

成長の解説には、イエス様がお生まれになられたことについて、ベツレヘムについたその日にお生まれになられたというわけではなく、滞在中に出産したのではないかということや、「宿屋」とは、本来「客間」とか「広間」といった意味を持つ言葉であるため、出産する上で好ましい個室がなく、仕方なく、馬小屋で出産したのかもしれない、あるいは、その馬小屋も、岩穴のような場所で、イエス様が寝かされていた飼い葉おけも、岩をくりぬいて平らにしたような場所だったのではないかというようなことが記されています。
聖書を読む限りでは、正確なところはわかりませんが、少なくとも、聖書に記されていない事柄を憶測で考え、子供たちにクリスマスのお話しをドラマ仕立てのように語るのは、あまり好ましいことではないと言えるでしょう。
しかし、生まれたばかりのイエス様が、飼い葉おけに寝かされていたという事実は、とても重要なポイントであったようです。というのも、羊飼いたちに現われた天使たちは、「あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これがあなたがたのためのしるしです。」と言って、真の救い主としてお生まれになられたイエス様を見分けるしるしとして「布にくるまって」「飼い葉おけに寝ている」みどりごを捜すように告げているからです。
つまり、その当時、どんなに貧しい人であっても、生まれたばかりの赤ちゃんを、馬小屋のような場所で、しかも、布にくるまっただけで飼い葉おけに寝かせるようなことは通常考えられなかったということであり、このことが、いかに異常な事態であり、だからこそ、見知らぬ羊飼いたちもイエス様を見つけることができたということを思うのです。

かつて、神戸で震災を経験した際、私は幾つもの非常事態を目撃しました。
幾つかある中で、一番印象に残っている光景は、倒壊した自宅の柱などを燃やして暖をとっていらっしゃる方々の悲壮な表情です。
行き場もなく、どうすることもなく、慣れ親しんだ我が家の柱をも燃やすしかない・・・。
冬が来るたびに、当時のことを思い出すのですが、きっと、イエス様は、そんな悲しみに沈む人たちの心をご存知の上で、あえて、行き場もなく、飼い葉おけに寝かされるしかないような環境の中においでくださったのではないでしょうか。
イエス様は、単に、貧しいお姿でこの世に来られただけでなく、全ての人の悲しみのあるところにも来て下さるお方なのでは、と思います。
2005年のクリスマス、様々な悲しみの中にある方々に、真の喜びがもたらされますよう、布にくるまって飼い葉おけに寝かされたイエス様の御名のよってお祈りいたします。