詩篇34篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇34:1 ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。
34:2 どのようなときも、わたしは主をたたえ わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
34:3 わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
34:4 わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
34:5 わたしは主に求め 主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
34:6 主を仰ぎ見る人は光と輝き 辱めに顔を伏せることはない。

詩篇34篇の表題には「ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。」と記されており、サムエル記上21章10節以下に記されている出来事と関連していると言えます。
しかし、正確には、ダビデが狂気の人を装ったのは、ガテの王アキシュの前であり、アヒメレクとは、その前後に登場するダビデをかくまった祭司であり、普段は祭司の者しか食べないパンと、ダビデ自身が打ち倒したゴリアテの剣をダビデに渡し、ついに、ダビデをかくまったことにより、サウルによって殺されてしまいます。
ちなみに、この時の出来事に関しては、マルコ福音書2章の箇所においても、イエス様が、ダビデがひもじかった時、祭司の所に行って、祭司の食べるパンを食べたではないかと言われたことが記されています。

マルコ2:25 イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。
2:26 アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」

ここでは、祭司アビメレクではなく、アビメレクの息子アビアタルとなっており、ここでも、人物の名前に混乱が見られるようですが、アビメレクの死後、ダビデに付き添いながら、ダビデ直属の祭司として行動を共にした者であることには違いありません。

おそらく、このような人物の名前の混乱は、聖書を記した記者たちの思い違いか、あるいは、聖書を書き写す過程において、書写の人たちの思いこみなどが反映されたものであろうと思いますが、いずれにせよ、このような出来事があったということは紛れも無い事実であり、ダビデは確かにサウルに命を狙われ、逃亡生活を送っている最中にも、祭司のもとに身を寄せ、神の御心を伺いながら行動していたのです。

自身の存在を脅かす危機にさらされながらも、時には狂気の人を演じながらも、辱めにも屈することなく、ダビデは、ひたすらに神の救いを待ち望み、御心を仰ぎながら、この試練の時を乗り越えて行きました。
それは、十字架のイエス様にも見受けられることではないでしょうか。
イエス様は、十字架にかけられて、私たちの身代わりとなって、辱めを受けてくださいました。しかし、それによって、私たちの救いは勝ち取られたのです。
どんなに格好が悪くても、主の御心ならば、辱めをも甘んじて受けること。そして、そこに救いが必ずあること。覚えておきたいことの一つです。