詩篇6篇 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇6:3 主よ、憐れんでください わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
6:4 わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。
6:5 主よ、立ち帰り わたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしく わたしを救ってください。
6:6 死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず 陰府に入れば だれもあなたに感謝をささげません。
6:7 わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。

この詩篇6篇の表題には「指揮者によって。伴奏付き。第八調。賛歌。ダビデの詩。」と記されています。
記述通り、ダビデの作によるものであるとするなら、イスラエル王国の王様にまでなった偉大な人物が、夜、寝床を涙でぬらすほどの苦しみを経験したということになります。
ダビデは、羊飼いでもあり、獣などとも闘い、あのゴリアテをも倒した勇者。
その勇者が涙するとは、どれほどの悲しみであったことでしょう。
それは、きっと、事が自分の思い通りにならないというような、日常のことよりも、自分の中にある罪の現実を知らされた者だけが知りうる絶望の悲しみであったかもしれません。

そして、そのような絶望の淵に立たされたような悲しみの中で祈り求める「主」とは、何者なのでしょう。
必ずや、そこから救って下さるという確信がなければ、空しい祈りとなったはずです。
しかし、彼は祈りました。
そして、その祈りは聞き届けられた、とダビデは記します。

詩篇6:10 主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。

主はきっと、私の嘆きを聞いて下さるに違いない、いえ、もう既に聞いていて下さる、聞いてくださったのだ、ダビデはそのように考えていたのでしょう。

ヘブル11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

私の主、私の神、イエス・キリストの救いの御業を感謝して信頼します。アーメン。