イザヤ49:4 わたしは思った わたしはいたずらに骨折り うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり 働きに報いてくださるのもわたしの神である。
49:5 主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために 母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主は
49:6 こう言われる。わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。
イザヤ49章には、イスラエルの民の復興の約束が語られています。
しかも、それは、単に、イスラエルの民族だけの復興を約束するだけに留まらず、他民族に対しても、主の恵みを告げ知らせる者として用いられていく事を約束するものです。
まさに、それは、主なる神様の御力の現われであると言えるでしょう。
イザヤ49:7 イスラエルを贖う聖なる神、主は 人に侮られ、国々に忌むべき者とされ 支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が あなたを選ばれたのを見て。
49:8 主はこう言われる。わたしは恵みの時にあなたに答え 救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて 民の契約とし、国を再興して 荒廃した嗣業の地を継がせる。
かつて、人に侮られ、蔑まれていたような者が、今や、神の栄光に与る民として招かれ、用いようとして下さるのです。
そして、これらの事柄は、イエス様のご生涯そのものと深く関係しているようにも思えます。人に罵られ、あざけられながらも、救い主としてのご生涯を全うし、神の栄光をお受けになられたイエス様。
そんなイエス様のご生涯と、イスラエルの民の歴史とは、共通する部分が多く、不思議な一致の中、一つにせられているように思えるのです。
そして、イエス様の十字架の贖いの御業の故に、新たなイスラエルの民とせられた私たちも、この交わりの中に組み込まれていると言えるのです。
私たちは、主にあって一つの体である。
この奥義は偉大です。そして、感謝なのです。