イザヤ47章 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ47:12 まじないと呪文の数々をもって立ち向かえ。若い時から労して身につけたものが あるいは役に立ち それを追い払うことができるかもしれない。
47:13 助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。天にしるしを見る者、星によって占う者 月によってお前の運命を告げる者などを 立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。
47:14 見よ、彼らはわらにすぎず、火が彼らを焼き尽くし 炎の力から自分の命を救い出しえない。この火は体を温める炭火でも 傍らに座るための火でもない。
47:15 呪文を若い時から労して身につけ 売り物としてきた者すら、この様だ。彼らはおのおの勝手に迷って行き お前を救う者はひとりもいない。

私の母親は、よく「縁起が良い」とか「悪い」とか口にする人で、古い言い伝えや、慣習、占いなどをすごく気にする人です。
ある意味、すごく信仰熱心な人なのだと思います。
そんな母親ですが、私が子供の頃「お前は雨男だから、お前の入学式とか卒業式にはいつも雨が降る」と言っていたことがあります。私にしてみれば、同じ日に入学式や卒業式を迎える同級生はたくさんいるし、だいいち、父親が来てくれた日に雨が降った記憶はなく「それを言うなら、あんたが雨女やろ」と思ったものです。
でも、彼女は、頑なに息子を雨男にしようとするのです。
そこまでして、一体、何をどうしたいのだろうか?と思ったりするのですが、こういうことに縛られる生き方は、かえって、辛くなるだけだろうになあと思います。
もちろん、これだけの「信仰熱心」な人ですから、いつかはきっと、本当の神様を信じ、イエス様のことを受け入れてくれるだろうと思うのですが、今は、頑なに信じようとしませんね。
なぜ、そういう根拠のないものは軽々と信じて、聖書を信じないのか、私には不思議ですが、1日も早く、イエス様を信じて、本当の平安と喜びを頂いて欲しいと願っています。