イザヤ46:1 ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ お前たちの担いでいたものは重荷となって 疲れた動物に負わされる。
46:2 彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず 彼ら自身も捕らわれて行く。
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家よ イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ 胎を出た時から担われてきた。
46:4 同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
46:5 お前たちはわたしを誰に似せ 誰に等しくしようとするのか。誰にわたしをなぞらえ、似せようというのか。
46:6 袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は 鋳物師を雇って、神を造らせ これにひれ伏して拝む。
46:7 彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き 据え付ければそれは立つが そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず 悩みから救ってはくれない。
ベルとネボは、バビロンの神々の名前だそうです。
ここには、人々は、それらの偶像を家畜の背中に乗せ、それらを重荷として携えて行こうとしている様子が描かれています。
それは、まさに、本当の神を知らないまま、様々な偶像を背負って生きている人たち姿のようです。
10年前、阪神大震災が起きた日、私たちは、文字通り着のみ着のままで戸外へ逃げ出し、大きな余震に怯えながら、寒さに凍えていました。
何度か、部屋に戻って、大事なものを持ち出そうかと考えていましたが、その時、神学校の教師をしていらっしゃる先生が「賛美歌を歌いましょう」と言って、ノルウェーの賛美歌「主イエスの御名こそ」をみんなで賛美しました。(賛美歌第2編163番)
その時、私は、たいへん励まされました。賛美歌を歌うこともさることながら、そのことを提案された先生の言葉。それは、まさに、主イエス様こそが我が岩、我が救いであるとの信仰に生きていらっしゃるからこそ出てくる言葉だと。
何が大切なのか、そして、何に心を囚われて生きようとしているのか。
今一度、私が生きる上で、最も大切なことな何であるのか見つめながら、これからの人生の歩みも続けて行きたいと思います。
役にも立たない重荷を抱えて苦しみながら生きるのではなく、私のことをも背負って下さる主のお約束を信じて、全てをお委ねして生きて行きたいものです。