創世記37:2 ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは十七歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。
37:3 イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。
37:4 兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。
創世記37章には、後のイスラエルの歴史に大きな影響を与える発端となった、ヨセフが他の兄弟たちの手によってエジプトに売り飛ばされてしまった時のことが記されています。
ラケルの子のヨセフは、女奴隷ジルパやビルハの子らの行動を父イスラエルに告げ口をしたり、イスラエルの子らの間には、母親の違いにより、互いに分派のようなものが生じていたのかもしれません。
そして、そのようなことに加えて、ヨセフの見た夢の内容によって、ヨセフに対する憎しみが決定的なものとなり、エジプトに売り渡されてしまうことになってしまいます。
地のつながった兄弟の間でさえ、このようなことが起こるのですから、ましてや、地のつながらない他人同士の集まるこの世の関係の中で、互いに憎しみあったり、敵対しあったりすることが生じるのは、避けられないことなのかもしれません。
おりしも、日本では、衆議院選挙の選挙戦の真っ只中。いろんな意見を持った人たちが、互いに敵呼ばわりしたり、あるいは、徒党を組んだり、一体何がどうなっているのか、良く分からないところもありますが、きっと、いろんな利権が絡んでいたりするのでしょう。
本当に必要なことならば、痛みを覚悟して改革を進めていかなければならないということも必要なのでしょうが、それが本当に必要なことであるかどうかは、後になってみなければわからないこともあります。
ヨセフの人生がそうであったように・・・。
イエス様が背負って下さった十字架の痛みも、それが本当に必要なものであったからこそ、担われた重荷であり、それが真実となるためには、私たちがその事実を受け止め「あの十字架は、私の救いのためであった」と信じることが大切なのです。
将来この国がどうなっていくのか、それは誰にもわかりませんが、少なくとも、主なる神様は、私たちの身代わりとなって、痛みを引き受けて下さった事は真実なこととして、そこに平安を頂きながら、私たちの負うべき務めを誠実に果たしていくことができるよう、1日1日の歩みを誠実に歩ませていただきたいものです。