創世記6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、
6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。
6:7 主は言われた。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
6:8 しかし、ノアは主の好意を得た。
6:9 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。
6:10 ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。
6:11 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。
6:12 神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
悪に満ちた世界と、それに対する神様の正しい裁きが行われる事は、決して見逃しにはできない事実として受け留めなければならないことです。
なぜなら、神様の行われる裁きは、一切妥協のない、完全に悪を排除しようとするものであるからこそ、完全な清めであり、完全な救いをもたらすものとなるということを覚えたいのです。
それは、イエス様が十字架にかけられて死なれたことにも通じるものです。いい加減な赦しではなく、本当の赦しであるために、神の一人子であられるイエス様の何よりも尊い命が犠牲に捧げられることによって、まったき贖いが成し遂げられ、そこに確かな救いが約束されていると言えるのです。
神の御前に正しい人であったノア。まさに、罪に満ちた世界において、たった一人正しい道を歩まれたイエス様を表していると言えるでしょう。
ローマ5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
一人の人、イエス様の尊い十字架の犠牲によって私たちは贖われ、この恵みのゆえに救われています。ただただ感謝するばかりです。