2コリント6:1 わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
6:2 なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
恵みを無駄にするとは、どういうことでしょうか。
聖書における恵みとは、神が、その一人子なるイエス様を人としてこの世にお送り下さることによって、全人類の全ての罪の償いのために、十字架でいけにえの犠牲となって死んで下さったことを示しており、それを無駄にするということは、イエス様の尊い犠牲によって罪が赦されていることを台無しにしてしまうことです。
例えばどういうことが考えられるでしょう。
もしも、私たちが、自分自身の力で救いを完成しようと考えているなら、それは、キリストの十字架による救いの事実を無にすることになってしまいます。
あるいは、神様が赦すと仰せられているのに、それでも自分自身のことを赦せないままでいるとしたら、それもイエス様の犠牲を無駄にすることになってしまいます。
さらに、あれほどの大きな犠牲を支払って赦してもらったにも関わらず、相変わらず同じ過ちを繰り返しているとしたら、それも恵みを無駄にする行為に他なりません。
神の恵みを無駄にしないということは、神様の恵みにひたすら感謝し、己の力や業に信頼せず、ただただ、十字架で死なれたイエス様の尊い犠牲の故に赦され、救われている者であるということを覚えて生きることでしょう。
イエス様が一体どんな思いで十字架への道を歩んでいかれたのかを覚えたいと思います。
ただ、目の前にある苦しみを耐え忍んでいかれただけでなく、なんとしても、私たちを救いたいという切なる思いの故に、ご自分の命を投げ出してくださったのであり、そのようなイエス様の深い御愛を決して無駄にしないよう、救われた者として、大いに喜んで生きていきたいものです。