2コリント5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。
5:15 その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
ここには、主イエス様が十字架で死なれたことの目的は、生きている人が、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分のために死んで復活して下さったお方、すなわち、イエス様のために生きるようになるためであるということが、はっきりと語られています。
具体的には、17節以下に記されているように、イエス様の尊い十字架の贖いの代価によって罪赦された者が、その赦しの約束を頂いて、神の赦しの約束の言葉を伝えていくことにあり、言うなれば、神の福音の宣教のために用いられるために生きていくようになるということでしょう。
2コリント5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
5:18 これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
5:19 つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
神の御言葉の宣教の業は、神への従順と隣人への愛故に成し遂げられていくものです。
そのような働きに携わっていこうとする者こそ、神様が創られた人間本来のあるべき姿に従って生きていると言えるのでしょう。
自分自身のためだけに生きる者は、本来の人間の生の目的を見失っているばかりか、やがては、滅びを招く結果となっていきます。しかし、私たちのために死んで復活して下さったイエス様のために生きて行こうとする者には、人間が生きているということの本当の意味を知り、隣人をも自分自身をも生かすことになるのであり、本当の意味で、祝福された人間らしい生き方であると言えるでしょう。
願わくは、本当の意味で人間らしく生きることができるように、これからも、私なりに、主の福音宣教の御業に携わらせ続けて行きたいものです。