2コリント4:5 わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。
4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
以前、知り合いの宣教師のお宅に招かれた時、奇麗な形をした焼き物のポットと、幾つか穴の開いた同じく焼き物のポットの二つに、それぞれ、キャンドルを入れて、こうお話ししてくれたことがあります。
「奇麗な欠け目の無い器では、中の光はあまり見えないけど、欠け目のある器から、中の光がこぼれて辺りを照らしてくれます。」
確かにその通りでした。
そして、このコリントの手紙を引用して、私たちの欠け目を通して、イエス・キリストが証しされていくのだということを教えて下さいました。
私たちは弱い存在です。罪を犯してしまう点でも、永遠に生きられず、やがて死に行く存在であるという点においても、弱く、はかない存在なのです。
しかし、だからこそ、そのような私たちのために、イエス様が十字架の贖いの御業によって、私たちの罪を償い、復活の出来事を通して、肉体の死を滅ぼし、永遠の命を与えて下さるという約束を信じ、証ししていくことができるのです。
そう考えると、私たちが弱いからこそ、イエス様を証しすることができると言えるでしょう。
2コリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
私も、あえて、自分の弱さを、イエス様のことを証しすることができる恵みとして受け止めたいと思います。そして、それが、他の方への信仰の励ましになることを信じ、勇気を持って、弱さを通しても、主イエス様の救いの素晴らしさを証し続けていきたいものです。