エゼキエル34章7~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル34:11 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。
34:12 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
34:13 わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。
34:14 わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
34:15 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
34:16 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。

昨日、日課の箇所を間違って書いてしまったので、今日は、昨日の日課から。

エゼキエル34章7節以下の箇所には、イスラエルの牧者たちが羊(国民)を養うことを怠り、自分たちのことばかり養おうとしている様を憂い、主なる神様ご自身が、直接、彼らを養うようになるということが語られています。
まさに、イエス様の到来を予感させる御言葉の約束であると言えるでしょう。

イエス様は必ず再びこの地上にお姿を現されます。
それまでは、教会で立てられている牧会者たちがその務めを担って行かなければなりません。
そう考えると、牧師の仕事というのは、いつしか、必要とされなくなるべきものなのかもしれませんね。むしろ、誰もが真の羊飼いであられるイエス様としっかりと結びついて行くことができるように導き、一時的な羊飼いなど頼らなくても済むようにお世話をしていくのが牧師の仕事であり、そういう意味では、自分の仕事が必要とされなくなるように仕事をしていくのが牧師の仕事なのかもしれません。
そういう役割に徹することができる時、はじめて、本当の牧者と言えるのかもしれませんね。

とは言え、必要とされるうちは、精一杯、主にお仕えしたいと思います。