テサロニケの町の教会は、パウロらの伝道によって立てられた教会です。(使徒17章参照)
このテサロニケの町では、パウロに従う者たちに対する激しい迫害が起こり、ベレヤの町に移動したパウロたちを追って、そこでも暴動を起こそうとした者たちがいました。
ですから、きっと、パウロが去った後も、テサロニケの町のクリスチャンたちは、激しい迫害の嵐が吹き荒れる中にも、苦難に耐えながら、信仰の闘いを続けていたのでしょう。
そんなテサロニケの町のクリスチャンたちに、パウロは、最大限の賞賛の言葉を用いて、彼らを励まそうとしている様子が伺えるのです。
2テサロニケ1:3 兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。
1:4 それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
いつの時代にも、多くの方が主イエス様を信じる信仰の故に(信仰を持つこと自体は尊いことであるはずなのですが・・・)迫害を受け、苦難を強いられるということを経験してきました。しかし、その苦難を通して、報いとして永遠の安息を受けることができるとパウロは語っています。
マタイ10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御言葉は、約束を伴った励ましの言葉であると言えるでしょう。迫害されることがあるかもしれない。しかし、主イエス様を信じ、従い続けて行く者は、決して神様に見捨てられる事はないのです。
救いの希望があるからこそ、苦難にも耐えることができるのでしょうし、逆に言えば、それほど、神様が下さる安息の希望が素晴らしいものなのだということを覚えたいものです。
ローマ5:1 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。