1テサロニケ5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
数年前に、韓国から来られた有名な伝道者の方と、わずかな時間でしたが御交わりの時を持たせていただいたことがあります。その方はとても日本語がお上手で、メッセージも日本語で語って下さいました。その時「私は、かたっときもイエス様のことを忘れたことはない」とおっしゃっていました。
その後、隣の町の教会まで、私が車でお送りすることになったのですが、その先生、わずか30分ほどの間に、うとうとと眠り始めてしまったのです。
私は不遜にも、「この先生は、眠っている時もイエス様のことを覚えていらっしゃるのかな?」などと考えてしまいましたが、とても穏やかなお顔をして休んでおられましたから、おそらく、夢の中でもイエス様と語り合っておられたのでしょう。
私たちは、悩み事や心配事があると、なかなか寝付けなくなることがあります。眠れないから、余計に疲れがたまって行ったりすることもあります。
しかし、「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるため」なのだということを思う時、眠りにつく時さえも「キリスト・イエスにあって」救われていることを確認することができれば、安心して眠につくことができれるのでは、と思うのです。
マタイ10:28 からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。
10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
イエス様は、ご自分の命を投げ出してまで、私たちを救おうとして下さいました。それは、たとえ、この地上の命が奪われたとしても、決して、奪い去られることなはい、魂の命を保証して下さるものです。
このことを覚える時に、私たちは、本当の意味での魂の平安を頂くことができ、そして、安心して眠ることもできるのではないでしょうか。
1テサロニケ5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
ここに記されていることは、とても素晴らしいことだと思います。しかし、その中で、最も重要なことは、「キリスト・イエスにあって」ということ。イエス様に救って頂いているという素晴らしい喜びの知らせを頂いているからこそ、喜び、祈り、感謝することができるのです。
願わくは、この「キリスト・イエスにあって」生きること、目ざめていても、眠っていても、キリストと共に過ごすものでありたいですね。