2テサロニケ2章1~17節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

クリスチャンに対する迫害の激しかったテサロニケの町の教会には、既に主の日が来てしまったのではないかと考える者もいたようです。
しかし、パウロは、主の日が来る前には、必ず不法の者が現われ、自分こそ神であるというように傲慢にふるまうであろうということを予告しています。
しかし、まだ、その時ではなく、その不法な者の出現を引き止めているものがあると記しています。

2テサロニケ2:6 今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。
2:7 不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。
2:8 その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。

ここには、不法な者の出現を引き止めているものが何であるかということについては、あなたがたも知っている通りと記されているだけで、それが何を指しているのかということについては、具体的なことは記されていません。おそらく、ローマ帝国支配の時代、治安維持のための法律や軍隊などの締め付けがあって、簡単には、神を名乗ることなどできない背景があったのでしょう。
あるいは、イエス様が「我こそメシアである」と訴えて、ついには、十字架刑に処されたことがずっと尾をひいていて、簡単に、そのようなことを言えるような状態ではなかったのかもしれません。
「メシアを名乗るものは、十字架刑に処される。」
そういう空気が、ローマ帝国全体に浸透していたのかもしれません。
しかし、そういう政治的、軍事的秩序維持も、帝国の没落とともに、やがて機能しなくなっていく時がきます。まさに、無政府状態になっていく時、その時が一番、不法な者が現われやすい時であり、人々が、みな、個々に身勝手に振る舞い始める時、不法の子、悪魔の働きの活発化する時となるのでしょう。

今、私たちの時代も、やや危険な状態であると言えるでしょう。もちろん、私たちの国、日本だけを見ていたら、なんとも平和な国のように見えなくもないのですが、着実に、無政府状態に近づいていっているように思います。政治的無関心、個人主義、そして、犯罪や偽りの宗教家の増加など、何があってもおかしくないようにも思えます。
また、世界に目を向けてみても、国連は名ばかりで、世界秩序の混乱が少しずつ進んでいるようにも思えます。
そして、一番危険だと思うことが、「我こそはメシア」と宣言し、十字架刑に処された、イエス様のことを忘れている人が増えていることでしょう。イエス様のことを覚えている人は、決して、不法の者の言葉に惑わされたり、自分自身がそのような者になろうとしたりしないはずです。
今一度、「我こそはメシア」と宣言し、十字架にかけられて殺されたイエス様のことを思い、それが、一体、誰のために行われた御業なのかということを覚えたいものです。