イザヤ39:1 そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り者をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである。
39:2 ヒゼキヤはそれらを喜び、宝庫、銀、金、香料、高価な油、いっさいの武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。
ヒゼキヤは、病気の回復と共にバビロンから使者が遣わされたことを喜びとして受け留めています。おそらく、このことが、バビロンとの友好の証と考えたのでしょう。
しかし、神から遣わされた預言者イザヤの見方は違っていました。
イザヤ39:5 すると、イザヤはヒゼキヤに言った。「万軍の主のことばを聞きなさい。
39:6 見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。
39:7 また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕えられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。」
バビロンから遣わされた使者は、友好の証ではなく、後に侵略される結果を招く、スパイ行為に他ならなかったのです。
人間の心は移ろいやすいものです。
一時的には友好的に見えても、後に態度を急変し、容赦なく攻撃を加えられることもあります。
それは、人間、誰もが自分勝手な都合で物事を考え、自己の利益を優先して行動しようとするからです。
そのことは、ヒゼキヤの態度にも表れています。
イザヤ39:8 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。
ヒゼキヤは、仮に、将来ユダの国が滅ぼされるようなことがあったとしても、自分の生きている時代が安全なら、それで良いという考えを持っています。
なんとも空しいことですが、これが私たち人間の現実の姿なのではないでしょうか。
バビロンの使者が遣わされたことを喜び、自分の時代には滅亡が起きないことを喜んだヒゼキヤ。
しかし、その喜びは、偽りの平和であり、偽りの喜びなのです。
本当の喜びは、永遠に変わることのない真の平和であり、神の救いの約束に信頼し、安心して生きることなのです。
イザヤ38:16 主よ。これらによって、人は生きるのです。私の息のいのちも、すべてこれらに従っています。どうか、私を健やかにし、私を生かしてください。
38:17 ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。
38:18 よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。
38:19 生きている者、ただ生きている者だけが今日の私のように、あなたをほめたたえるのです。父は子らにあなたのまことについて知らせます。
38:20 主は、私を救ってくださる。私たちの生きている日々の間、主の宮で琴をかなでよう。
主に信頼し、主をほめたたえ、主に従って生きていくこと。
これが本当の意味での喜びの姿なのでしょう。