イザヤ28章1~29節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ28章には、主なる神様が、悔い改めようとしないイスラエルの宗教的な指導者たちに対し、裁きの言葉を告げられた時のことが記されています。

イザヤ28:9 「彼はだれに知識を教えようとしているのか。だれに啓示を悟らせようとしているのか。乳離れした子にか。乳房を離された子にか。
28:10 彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。』と。」

この箇所は、新共同訳聖書には、

イザヤ28:10 「ツァウ・ラ・ツァウ、ツァウ・ラ・ツァウ(命令に命令、命令に命令)カウ・ラ・カウ、カウ・ラ・カウ(規則に規則、規則に規則)しばらくはここ、しばらくはあそこ」と彼らは言う。

と記されていて、この表現が、イザヤの語り口を馬鹿にしてこのように語られているということが伺えるのです。
おそらく、宗教的指導者たちは、神の御言葉を告げる預言者イザヤに対し、「一体、何様のつもりで我々に教えようとするのか。愚か者め。」というような態度で、このように中傷しているのでしょう。

これに対し、預言者イザヤは、まさに彼らが中傷したような表現そのままを持って、彼らに対する神の裁きを告げることになります。

イザヤ28:11 まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。
28:12 主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。
28:13 主は彼らに告げられる。「戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。」これは、彼らが歩くとき、うしろざまに倒れ、手足を折られ、わなにかかって捕えられるためである。
28:14 それゆえ、あざける者たち・・エルサレムにいてこの民を物笑いの種にする者たちよ。主のことばを聞け。
28:15 あなたがたは、こう言ったからだ。「私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとい、にわか水があふれ、越えて来ても、それは私たちには届かない。私たちは、まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきたのだから。」

イザヤを通して告げられた神の言葉には、イスラエルの宗教的指導者たちが考えていたような、死との契約、よみとの同盟などはありえず、確かに、死に踏みにじられなければならないということを告げるものです。
当時の宗教的指導者たちは、偽りの礼拝行為によって、神を礼拝するのではなく、よみの支配者、すなわち、悪魔を礼拝し、悪魔に対し、捧げ物を捧げたり、いけにえを捧げることによって、死をもたらされることのないように、悪魔と同盟を結ぼうと考えていたのです。
なんと言う恐ろしいことでしょうか。

しかし、イザヤははっきりと告げるのです。
死との契約などありえないし、よみとの同盟などありえない、と。
そして、人は、必ず死を味わわなければならず、本当の意味での平安をもたらすお方は、この死を乗り越え、解決して下さるお方でなければならないということを預言し、あの十字架の主、イエス・キリストの到来を預言しているのです。

イザヤ28:16 だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
28:17 わたしは公正を、測りなわとし、正義を、おもりとする。雹は、まやかしの避け所を一掃し、水は隠れ家を押し流す。
28:18 あなたがたの死との契約は解消され、よみとの同盟は成り立たない。にわか水があふれ、越えて来ると、あなたがたはそれに踏みにじられる。

まやかしの平安ではなく、本物の救いの約束であるイエス様の十字架と復活の御言葉を覚えたいものです。