イザヤ27章1~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ27:2 その日、麗しいぶどう畑、これについて歌え。
27:3 わたし、主は、それを見守る者。絶えずこれに水を注ぎ、だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。
27:4 わたしはもう怒らない。もしも、いばらとおどろが、わたしと戦えば、わたしはそれを踏みつぶし、それをみな焼き払う。
27:5 しかし、もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を結ぶがよい。和をわたしと結ぶがよい。
27:6 時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満たす。

私たちにとって、主なる神様の恵みとお守りの中にあることは、大きな幸いであり、心から願うことでもあります。
そして、そのような幸いな状況に置いていただくために必要なことは、主なる神様と和を結ぶことであると語られています。
しかし、その和とは、実に神様の側から一方的に結ばれた講和条約のようなものなのです。

エペソ2:11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
2:12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
2:15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
2:16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

私たちは、どれほど神様を悲しませ、神様に敵対してきたことでしょうか。しかし、神様は、そんな私たちを憎むどころか、むしろ、愛し尽くして下さり、イエス様の尊い十字架の犠牲によって、神様との間に平和の契約を結んで下さったのです。

私たちは、このことによって、神様の恵みとお守りの中に置かれている者とされたということを思う時、ただただ、感謝の心を持つばかりです。

主よ、こんな者を愛して下さり、あなたの御子イエス様の尊い血潮によって贖い、恵みとお守りの中に置いてくださいましたことを感謝いたします。