イザヤ12章1~6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ12:1 その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」

非常に短い文章ですが、きわめて聖書的な御言葉だなあと思います。
先週の聖書の学び会で、律法と福音の違いについて学びました。
律法とは、神様の私たちに対する戒めであり、これは、たとえイエス様が身代わりに死なれたからと言って、取り消されるようなものではありません。
むしろ、今なお、有効なものであるからこそ、イエス様の十字架が必要となるのです。
一方、福音とは、神様の私たちに対する愛の現れであり、イエス様の十字架の故に、もはや、何の裁きをも取り除かれているのです。
ここで覚えておかなければならないことは、取り除かれるのは裁きのみであって、神の怒りは、取り除かれなかったのであり、だからこそ、イエス様は身代わりに死なれたのであるということ。
神様は「いいよ、いいよ、何でも許してあげるから」というような妥協的な許しではなく、血を流して、私たちの身代わりとなって裁きを完了して下さったほどに、完全な赦しを約束して下さった方であり、イエス様の十字架が、そのことを物語っていると言えるでしょう。

コロサイ2:13 あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、
2:14 いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。

私たちの罪を責め立てる証書は、無くなったのではなく、イエス様とともに十字架に貼り付けにされていることを覚え、常に主の十字架を見上げて歩みたいものです。