イザヤ11章1~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ11:1 エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
11:2 その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
11:3 この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、
11:4 正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。
11:5 正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。

2年前に切り倒された、教会のすぐ近くの道路わきにある桜の木の根元から、昨年、枝が伸びはじめ、ついに今年、数輪の桜の花が咲いていました。切り倒されても、なお、生きようとする生命力の素晴らしさに感動を覚えます。
私たちの人生においても、様々なことで、まるで、木が切り倒されるかのような経験をすることもあります。各言う私も、全く想像もしていなかった、ふいの出来事に、ある日突然、お先真っ暗な絶望の淵に叩き落されたように感じる経験をしたことがあります。
その時は、本当に辛い日々でした。しかし、月日が経つにつれ、やがて傷は癒え、二度と立ち直ることなどできないのではないかと思っていたのに、いつの間にか、元気に過ごすことができるようになって行きました。
そして、あのような経験があったからこそ、今の自分があるのだなあとも思います。

どん底を経験した者でなければ味わうことのできない恵みがあることと思います。
そして、実に、あのイエス様こそ、私たちと同じ苦しみを味わって下さることによって、そこに、新しい命を芽生えさせて下さるお方なのです。

ヘブル2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。

根元から切り倒されるような苦しみを味わった者を助けるために、主イエス様ご自身が十字架で命を投げ出し、私たちを救い出そうとして下さいました。
そこに、主の命の芽生えがあるということを感謝せずにはいられません。
どうか、今、苦しみの中におられる方がいらっしゃいましたら、主イエス様の復活の約束を信頼して歩まれますよう、お祈りいたします。