イザヤ10章1~34節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

今、世間をにぎわせている領土問題。
私たちの住む町には、多くの漁師さんたちが暮らしているため、死活問題のようです。
しかし、だからと言って、教科書などを利用して、歴史認識を塗り替えていこうとするのも大きな問題がありますし、卒業式、入学式などで、国家斉唱、起立義務化なども、とうてい受け入れられるものではないと思います。

力による支配。

かつて、日本の国が誤ってきたはずの考え方が、少しずつ浸透し始めているのでしょうか。

日本が国連の常任理事国になろうとすることは、無意味なことではないと思いますが、自ら率先して理事国入りをアピールすることに、大きな問題があるように思うのです。
ただ「驕る平家は久しからず」という言葉を思い出すばかりです。

イザヤ10:12 主はシオンの山、エルサレムで、ご自分のすべてのわざを成し遂げられるとき、アッシリヤの王の高慢の実、その誇らしげな高ぶりを罰する。

神様のなさる公正な裁き、それは、驕り高ぶる者を悔い改めに導き、正しい道へと導いていくことと同時に、何の理由もなしに虐げられている者、弱さの中に苦しんでいる者、そういう方々への真の慰めともなります。
ということは、どういう境遇にあろうとも、神の正しい裁きの前に立たされていると言えるのであり、そのお方の語られる救いの約束の前に、救っていただいた者らしく、謙遜に、静かにたたずんでいたいものです。

イザヤ10:20 その日になると、イスラエルの残りの者、ヤコブの家ののがれた者は、もう再び、自分を打つ者にたよらず、イスラエルの聖なる方、主に、まことをもって、たよる。
10:21 残りの者、ヤコブの残りの者は、力ある神に立ち返る。
10:22 たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る。壊滅は定められており、義があふれようとしている。