イザヤ9:1 しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
9:2 やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。
神様が栄光を現されること、それは、私たち人間にとっては、まさに、苦しみの中に見る希望の光となります。
もちろん、それは、ほんの些細なことかもしれませんし、私たちが願っているようなこととは、全然異なるものであるかもしれません。
イザヤ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
9:7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
イエス・キリストの人としての誕生は、まさに、そういう「神が現された栄光」であり「苦しみの中にある者がみる希望の光」であると言えます。
ある人はこう言うかも知れません。
「イエス・キリスト?それが一体どうした。私と何の関係があるのか」と。
しかし、このお方こそ、私たちにとって、真の希望の光であり、不思議な助言を与え、力あるお方であり、永遠に変わることのない父であり、平和の君なのです。
主イエス様は、私たちにとって、そのようなお方となられるために、十字架で死なれ、イースターの朝、よみがえられました。このことは、実に、私たちに向けられた、神の愛の心の現われであり、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」と記されている通り、熱心に、愛していて下さいます。
この事実を覚え、主イエス様に、真の希望を抱きながら、今日も1日、感謝して歩ませていただきたいですね。