イザヤ8:11 まことに主は強い御手をもって私を捕え、私にこう仰せられた。この民の道に歩まないよう、私を戒めて仰せられた。
8:12 「この民が謀反と呼ぶことをみな、謀反と呼ぶな。この民の恐れるものを恐れるな。おののくな。
8:13 万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたの恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。
8:14 そうすれば、この方が聖所となられる。
何が正義であり、そして、何を恐れるべきなのか。
その答えは、実に、私たち人間にとって、とても重要なことです。なぜなら、それが、私たちの神になりうるからです。
私がはじめて教会に行き始めた時、「私は今までは両親の教えに従って生きてきましたが、これからは、聖書の教えに従って生きて行きたいと思います。」と、今にして思えば、なんとトンチンカンなことを言っていたことだろうと思います。キリスト教を、単なる道徳宗教と考えていました。
しかし、よくよく考えてみると、その言葉には、「私にとって、親が神のような存在だった」ということを認めていたということでしょう。
もちろん、私にとって、親という存在は、今でも尊敬する存在であり、大切な存在です。
しかし、私の親も、神に創られた、私と同じ人間であり、やはり、親にも救われて欲しいと思うのです。
そして、真の神であられるお方は、神を信頼し、恐れ、敬う者の中に住まわれ、私たちを聖なる主の宮としてくださるのですから、なんと素晴らしいことでしょうか。
今日も、私のうちに住んでくださる主を恐れ、敬い、従って生きていきたいものです。