イザヤ62章10節~63章6節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ62:10 通れ、通れ、城門を。この民の道を整え、盛り上げ、土を盛り上げ、大路を造れ。石を取り除いて国々の民の上に旗を揚げよ。
62:11 見よ。主は、地の果てまで聞こえるように仰せられた。「シオンの娘に言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。』と。
62:12 彼らは、聖なる民、主に贖われた者と呼ばれ、あなたは、尋ね求められる者、見捨てられない町と呼ばれる。」

イザヤ62章10節以下には、救い主の到来を預言する御言葉が語られています。
ところが、それは、主に選ばれた聖なる民を贖う救い主であられ、民の反逆の罪の償いを成し遂げるために来られた、民に代わり、ご自分がその罪に対する怒りをお引き受けになることによって、ただ一人、神の正義を全うされる救い主であられるということが語られているのです。

63:1 「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物には威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」「正義を語り、救うに力強い者、それがわたしだ。」
63:2 「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
63:3 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの衣にふりかかり、わたしの着物を、すっかり汚してしまった。
63:4 わたしの心のうちに復讐の日があり、わたしの贖いの年が来たからだ。
63:5 わたしは見回したが、だれも助ける者はなく、いぶかったが、だれもささえる者はいなかった。そこで、わたしの腕で救いをもたらし、わたしの憤りを、わたしのささえとした。
63:6 わたしは、怒って国々の民を踏みつけ、憤って彼らを踏みつぶし、彼らの血のしたたりを地に流した。」

私たち人間の反逆に対する神の怒りは、神ご自身であられる、御子イエス・キリストの上に降りかかり、誰一人、その苦難を共にする者はありません。たった一人、イエス様は、恐ろしい死の裁きを引き受けて下さり、十字架へと歩まれたのです。

イエス様の御衣を汚したのは、この私。

主よ、どうか、あなたの御子イエス様の尊い血潮による贖いの故に、全てを赦して頂いたことを、いつも心に留めて、悔い改めと感謝の中に生きて行くことができますようにお導き下さい。