ヨハネ12章20~36節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨハネ12:23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
12:25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
12:26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。
12:27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。
12:28 父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」

イエス様は、もうまもなくご自分が迎えようとしている死のことについて「人の子が栄光を受けるときがきた」と仰せられています。
イエス様の死とは、あの十字架に貼り付けにされた、むごい死刑を指すのですが、イエス様ご自身は、この出来事を「栄光を受ける」という表現を用い、なによりも素晴らしい神の愛の業であるということを示していると言えるでしょう。
しかし、この事実も、イエス様の尊い贖いの代価によって、全ての罪を赦されて、救いの恵みに入れられる私たちがいてはじめて、「栄光」と呼ぶにふさわしい出来事となりうることを思います。

ガラテヤ6:14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

イエス様の十字架こそ、私にとっての栄光。
私の全ての罪の赦しを約束して下さるイエス様十字架の救いの御業を崇めます。