マタイ27章45~56節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

イエス様が十字架の上で叫ばれた「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)」という言葉は、詩篇22篇における嘆きの言葉の成就であったといえます。

詩篇22:1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。

私たち人間が最も辛いと感じることは、孤独であることだと思います。
社会の中にあって、家庭の中にあって、誰も自分のことを愛してくれないと感じる時、生きていても、生きているという実感を感じられずに苦しんでいる状態、それが孤独であると言えます。
しかし、それよりもさらに恐ろしい事は、神にさえ見捨てられること。
実に、イエス様は、私たちの身代わりとなって、その孤独を引き受けて下さったのです。
ということは、イエス様を信じるならば、もはや、決して神様から見捨てられるようなことはないということです。
仮に、社会や家庭の中から見捨てられたように思える時にも、神様は、あなたのことを決して見捨てたりはしないのです。
ルカ福音書16章には、金持ちとラザロの事が記されていますが、この世で何の良いものも得られなかったラザロは、神様の憐れみを受け、天において、神様のみもとへと召されて行きました。この世において、完全に見捨てられたような状態にあった、あのラザロが、神様だけには見捨てられていなかったのです。
ですから、もし、あなたが「私は世間から見捨てられている」と感じる時、あるいは、孤独に苦しんでいるならば、このラザロを召して下さった主なる神様の救いの約束を覚えていて欲しいと思います。

創世記28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」

イエス様が私たちの身代わりとなって、神に呪われた者の受ける「神に見捨てられる」という裁きをお引き受けくださったことによって、もはや、私たちは二度と神様から見捨てられることはないということを覚え、このような幸いな約束に与る者としていただいたことを感謝いたします。
そして、神様の幸いなこの約束が、いつまでも変わらない永遠のものであることと、その永遠の約束の故に、神様がいつも共にいて下さることを、主イエス様の十字架の言葉を通して、心から感謝いたします。