イエス様は、弟子たちを連れて、オリーブ山のふもとにある、ゲッセマネという園にやってきて、祈りの時をお持ちになられました。
マタイ26:37 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
26:38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
26:39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
イエス様の祈りは、孤独で、深い悲しみに包まれた、激しいものでありました。
それは、実に、この世で様々な試練や苦難の中にある私たち人間を救い出すために、私たちの代わりに、とりなしてくださっている祈りの姿であり、イエス様の、私たちの救いに対する真剣な祈りの姿勢が伝わってきます。
しかし、一方で、弟子たちは、疲れと食後の心地良さも手伝ってか、激しい祈りを捧げているイエス様の姿とは裏腹に、すっかり眠り込んでしまっていました。
マタイ26:40 それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。
26:41 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
何とも申し訳ないことです。このことは、ペテロやヨハネ、ヤコブや他の弟子たちだけのことではありません。この私もそうです。私たちは、ほんのわずかの時間ですら、イエス様と心を一つにして祈り続けていることができません。
主よ、どうかお赦し下さい。
しかし、そんな弱い私たちのために、イエス様は祈っていて下さるのですね。
感謝のほか、あなたへの言葉は何もありません。どうか、弱い私たちのために、今日も同じようにして祈っていて下さるイエス様、私たちを見捨てないで、変わりない愛の中に留めていてください。
そして、こんな弱い私たちの救いのために、お受けになられた十字架の杯を、御言葉を通して、いつも私たちに知らしめていてくださいますように。