マタイ26章14~25節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ26:20 さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。
26:21 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」
26:22 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
26:23 イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。

かつて、私が学生だった頃、アルバイト先で出会ったお寺の娘からこんな話を聞いたことがあります。

「一緒に食事をしたことのある人は、その人を殺したりしようとは思わない」

確かに、和やかな食卓を囲んだ家族や仲間たちとは、そういう事にはならないような気もしないではないかなあと思いましたが、当時、既に教会に通い始め、聖書を読み始めていた私は、イエス様の最後の晩餐の出来事を思い起こしていました。
ユダは、イエス様と共に食卓につき、いっしょに鉢に手を浸したにも関わらず、イエス様を銀貨30枚で売ってしまい、最後には、自ら命を絶ってしまうことになってしまいました。
イエス様は、どんなに彼のことを憐れに思ったことだろうと思います。
寝食を共にし、長らくイエス様が願っておられた最後の晩餐をも共にしたユダに対し、イエス様がどんなに愛をもって接しておられたのかということが伺えます。

私自身、一歩間違えば、いつでもユダと同じことをしかねない者です。でも、イエス様は、あんな悲しい結末を迎えるのは、もうユダで十分。あなた方にまで、彼と同じような裁きに合わないで欲しいと、切に願っておられるのではないでしょうか。

「一緒に食事をしたことのある人は、その人を殺したりしようとは思わない」

これは、まさに、イエス様の愛の心そのもののように思えてきました。
私たち人間はそうでなくても、愛の神、イエス様は、常に私たちを救い、命に与らせたいと願っておられるのですから。