マタイ26章1~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

マタイ26:6 さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、
26:7 ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。
26:9 この香油なら、高く売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
26:10 するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。

旧約の時代、神に特別に選ばれた職務である、預言者、祭司、王に就くとき、「油注ぎ」と呼ばれる戴冠式のような儀式が行われたようです。
そして、そのような「油注がれた方」を意味する言葉が「メシア」であり「キリスト」です。

イエス様は、もうまもなく、祭司長らに捕らえられて、十字架にかけられて殺されようとしている時、ベタニヤの村で、ある一人の女性に香油を頭に注いでもらいました。
このことは、まさに、イエス様ご自身がメシアなるキリストに他ならないという事実を表していると言えるでしょう。
しかし、イエス様の務めは、単なる預言者の働きであったり、祭司のような務めであったり、歴代のイスラエルの王のものとは異なっていました。
それは、自らの命を犠牲のいけにえとして捧げることによって、人々の罪を贖う救い主(メシアすなわちキリスト)としての務めでありました。
このことについて、イエス様ご自身も、女性に油を注がれた時、この女性が埋葬の準備をしてくれたと語られていることから、もうまもなく、ご自分の最大の務めである、人類の罪の贖いのための十字架の死を迎えようとしていることを十分承知しておられたのです。
これは、神の選ばれた者、神の御子キリストを置いて他の誰にもできない務めでありました。

神に選ばれ、特別な務めをするために油注がれた者、それは、この務めが、神の御心を全うするために、ご自分を無にしてまでも従うことが求められているのであり、そういう意味で、イエス様こそ、まことのメシア、真のキリストであられると言えるのです。

ピリピ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。