マタイ24:1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。
24:2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
この箇所には、イエス様が、後にエルサレムの神殿が破壊されるであろうことを預言されたことが記されています。
エルサレムの神殿は、紀元前20年頃からヘロデによって建設が始まり、紀元64年に完成するまで建設が続けられ、イエス様の時代は、その途中、すなわち、まだまだ工事中であったということになります。
このため、イスラエルの人々は、もうまもなくで、全能の主なる神の宮、エルサレムの神殿が完成するだろうという期待と共に、この宮にふさわしい王、メシアなるお方の到来を待ち望んでいたことでしょう。
しかし、このような人々の期待とは裏腹に、イエス様は、あっさりと「この神殿は、やがて破壊されてしまうだろう」と預言されるのです。
目に見える建物は、やがて、朽ち果ててしまう時がきます。それは、どんな強固な建築物であったとしても、目に見える世界の物、地上の物質によって建てられるものである以上、避けることの出来ないことなのです。
キリストの教会も、もし、教会の建物を建てることだけに心を向けていたとしたら、それは、空しい徒労に終わってしまうことになりかねません。むしろ、そのような考え方こそ、打ち砕かれなければならないのかもしれません。
キリストの教会は、目に見える建物よりも、目に見えない建物、すなわち、イエス様によって救われた人々が、御言葉によって養われ、成長していく、そのような性質のものであることを覚え、何が大切であり、どこにエネルギーを費やしていくべきか、日々、神様に尋ねながら、信仰の歩みを歩ませていただきたいものです。
2コリント4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。